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2020年「個人言語」への旅~家庭こそが「ことば」道場

「個人言語」という言葉をご存じでしょうか。「個人言語」とは、辞書的な意味合いから離れ、ある特別な意味を込めて使われる作者独自の「ことば」です。評論を読むときには、特に大切になります。ただ、これは何も国語の学習に限ったことではありません。我々がコミュニケーションを図る上でも重要な要素となり得るものなのです。

 

数年前のことですが、日本人でボクシングの世界王者に輝いた若者がおりました。その彼がタイトル防衛を果たし、記者からインタビューを受ける様子をたまたまテレビで拝見しました。そのとき私は、ハッとさせられましてね。彼の発する「ことば」がまさしく「個人言語」で、世の中で流行しているような言葉の受け売りがなかったからなのです。自分自身の心とつながった純粋な「ことば」は、聞いている側の心にスーッと入ってきますね。実に気持ちがいい。この方は、コミュニケーション能力が非常に高いなと私は感じました。

 

しばらくして、またテレビを見ていましたら、ある塾の先生が偶然にも、このチャンピオンのお父様の子育てについて話されていました。その話を聞いて、私は「なるほど」と非常に腑に落ちましてね。

このお父様、実は大変な読書家で、自分が読んだ本の感想を子どもにメールで送り続けていたのだそうです。すごいですよね。こうしたことで、息子さんもどんどん読書が好きになっていく。言葉に関心を持つようになって、自らの「ことば」で話せる会話能力を身につけていったのだと推察しました。

親の「ことば」は、最高の情操教育であり、家庭は「ことば」道場です。正に「子育ての本質」を見た気がしました。将来、自分の子どもが困らないように、一人でも生きていけるように導くのが親の務めであると、改めて考えさせられました。

 

自宅に子どもさんといっしょにいる機会が増えた昨今、「子どもに、どんなことをさせればいいですか」という相談が、私のもとにもいくつか寄せられるようになりました。

私が最も危惧しているのは、「文章力の低下」です。

現在は学校にいるときよりも、文字を書く機会は著しく減少しています。勿論、「作文を書くこと」は大事なのですが、日記を毎日書き続けることはしんどいと思います。インプットが少ない状態で過剰なアウトプットを続けると、毎日、同じ言葉を用いて書くようになって、自己表現が停滞してきます。飽きてくるわけですね。子どもさんにとっても、これはつらいことなのです。

そこで提案です。ご家庭でできることがあります。

例えば、家族限定のイベントやちょっとした外出の後などに、文章を書く機会を設けるのは、非常に有効だと考えています。誕生日やデリバリー・パーティでもいいし、公園に散歩に行ったことでもOKです。他には、テレビドラマや映画の鑑賞会など、家族で共有した経験を書くとしたら、親も子どもさんにアドバイスしやすいですよね。書く内容も、「経験」に基づいた素直な「思い」が出て来ますので、文章表現力を鍛えるいいチャンスになるはずです。「書く」という行為に、必然性を持たせるのがコツというわけです。

すぐに書き出せなくても、勿論、大丈夫です。そのような場合には、子どもさんに質問をしながら、実体験を思い出させてみてください。一度、心の中にあるものを少しずつ自分の「ことば」にしてみるのです。そうして、おしゃべりをしてから書くのも「あり」です。もし話すのが難しいならば、思い出した単語をまず紙に書いてみるのもよいでしょう。「つなげたら長くなった」と喜んだのをきっかけに、「作文好き」になった子どもさんもいます。

「書く」という経験を増やすことは、小学校低学年からでもできますので、段階的に時間をかけながら継続していくのが望ましいと思います。原稿用紙は、常備しておきたいですね。

 

よく言われることではありますが、ほめてあげることも実は有効なのです。精神的報酬は、「書く」という作業の面倒さを和らげ、「こんな話も聞いてほしい」という意欲につながります。すると、他者への自己表出に対しても自信が持てるようになっていくものです。

健全な「感情」の表出は、メンタルケアにもつながります。「うまく話せないけど、書くことはできる」という場合が時折あることは、子どもだけでなく大人にも思い当たるのではないでしょうか。「直接うまく言えないことも、メールで言えた。スッキリした」みたいなね。精神の健全な成長にも一役買ってくれるわけです。

 

では、語彙を増やすには何をすればよいのでしょうか。

実はちょっとした習慣さえあればいいのです。いざ文章を書こうとしたとき、漢字がわからないことは大人でもよくありますが、その際にわからない字を辞書で調べる習慣がとても大切になります。わからない状態が当たり前になると、意味不明な言葉に出合っても全く気にならなくなるものです。「調べなさい」と言うと、不機嫌な顔をされてしまいますよね。対照的に、いつも「言葉調べ」をしているお子さんは、その場で正確な意味を調べないと気になってしまうので、指示しなくてもすぐ辞書に手が伸びていきます。「調べるのがめんどう」ということでは、今後の学習効果が見込めない可能性があります。未知を既知に変換するのが「学びの本質」だからです。早期に習慣づけをして、先手を打っておく作戦です。

みなさん、決して軽く考えてはいけませんよ。毎月10冊以上の本を読む小学6年生は、短大生と同程度の語彙の持ち主であるという話まであるのです。ですから、「読書」「言葉調べ」というインプットと、「作文」というアウトプットは常にセットで考えたいところです。

 

中高生の推薦入試対策を担当している立場で言わせてもらうならば、「志望理由書」「小論文」「面接」は「推薦合格三大ポイント」です。近年、指導する機会が急増しています。こうした現状を鑑みると、小中学生の頃に「作文ぎらい」を避け、学年相応の文章力を身につけられれば、将来、大学の推薦合格にまでつながるわけなのです。もし子どもさんが発達段階に応じた語彙の増強をある時期までにしなかったならば、小論文を書く場面できっとつらい思いをしてしまうかもしれません。推薦入試の需要が高まっている昨今、どのお子さんも将来的に「推薦合格」という可能性はゼロではありません。

 

言うまでもなく、大学入試の前にまず高校入試が控えています。最近では、高校入試対策で行う記述問題、主に社会や理科において、やはり「書く力」が身についていない生徒が増えています。「文章力をいかに鍛えるか」について、私も常々考えているところなのですが、私の授業では、まず教科書の音読からトレーニングを始めていきます。音読は脳全体を活発にし、暗記力を向上させる効果もあるのです。そもそも人は、読めない情報は記憶できないのです。昨日も、中3の生徒と英語の不規則変化動詞の音読を行ったばかりです。

 

さて、数か月前のことなのですが、指定校推薦で大学合格を決めた生徒から、「何かお勧めの本はありますか」とLINEが来ました。ある小説を紹介すると、1週間後に感想が送られてきました(以下、生徒の書いた本文です)。

 

 

「人間、一生勉強である」という大学生Kの言葉に心打たれました。その言葉により、13歳の主人公Aが睡眠時間をつめて机に向かって勉強している姿が印象的でした。また、祖母の姪S子(19歳)が、がんばるAを支えている優しさにも心が温まりました。

でも、その後、大学生KとS子が心中を選んだことに正直、驚きました。「この2人の死を超えていかなければいけない」と感じたAは、さらに勉強に励みます。その姿に励まされました。自分の苦手な部分を補おうとしているところにも魅了されました。
「人間一生勉強」という言葉が、これからの自分自身にも活かせると考えています。「作業療法士」になるには、国家試験に合格しなければいけません。そのためには勉強は必須です。

でも、試験に合格し、国家資格を取得したからといって、後は勉強しなくてもいいというわけではありません。「作業療法士」として働く中で、人生の先輩である患者さんから学ぶこともあると思うし、仕事をやっていく上で、より自分の技術を磨くために学ぶこともあります。そのためにも、「人間一生勉強」であることを頭に入れて、これからの人生を歩んでいきたいです。

振り返ると、勉強から逃げていたこともありました。でも、村井先生が勉強することの重要性を教えてくれました。それから、勉強に対するモチベーションが上がりました。

自分だけでは気づけないこともあります。でも、支えてくれる人、関わってくれる人がいるからこそ、物事の重要性を改めて感じられるのではないでしょうか。

これから、「作業療法士」として世の中に出て働くうえで、知らないことに遭遇することもあると思います。でも、分からないままにしてしまったら、後々苦労するのは自分です。それが原因で大きな失敗をしたり、患者さんに不快な思いをさせてしまったりしてしまうこともあるでしょう。

あいまいだったことが理解できたら、それも勉強の一つです。未知の世界にも足を踏み入れて、積極的に物事を吸収しようという気持ちを大事にして生きていきたいです。

 

 

どうでしょうか。いささか手前味噌で恐縮なのですが、以前の生徒とはまるで別人のように感じました。1冊の本から受けた感動がありますよね。そればかりか、今の瞬間や実生活にまで活かそうとしています。生の実感を伴った読書、内容を咀嚼したからこそ書ける文章です。精神的成長も伝わりました。これこそが表現の持つ可能性そのものなのです。

 

常に第一志望合格のためには、私も全力で生徒と向き合います。もしも伸び悩んだら、達成できるまで何度も繰り返します。それでも、途中で音を上げずに努力できたのは、生徒自身の唯一無二の個性であると断言します。最終的には、勝利への飽くなき執念が勝ったのだと思います。やはり、夢の実現のためには明確な目標を持つことが必要なのですね。

 

実のところ、生徒から「どんな本を読めばいいですか」と聞かれたら、「自分が興味のあるものを読めばいい」と答えるときも多いのですが、大人になる前の若い時代、そのときの感受性でしか読めない本も、一方で「ある」と思います。人生に悩み、不確かな時代を一歩一歩前に進まねばならぬときにこそ、自ら求めて読むべき本があるのではないでしょうか。

 

「もしその本との出合いがなかったら、果たして今の自分はあるだろうか」……そういう本と出合えるのも、「青春」という若き時代の特権であるとは言えないでしょうか。時代を超えた書物の普遍性、これは確かにあるのです。私にとっては、それがフランス文学でした。

 

人は一生、自分の「ことば」を鍛え続ける存在です。小さい頃は家庭で親に教わり、成長して「本」と出合い、「人」と出会いながら、さらに「個人言語」を研磨していくのです。

 

現代社会において、多種多様な「ことば」の関係性や独創性を理解するということは、もはや大人になってから取り組む課題ではなく、社会経験を積む中で獲得すればいいというスキルでもなく、本来の人間的相互理解へとつながる即戦的な力として認知されつつあるという事実を、我々は子どもたちにぜひ伝えなければならないと思うのです。

 

KATEKYO学院 郡山開成山教室 専属教師 村井眞一

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